水谷潔の小さなツッコミ・大きなお世話
聖書のこんな言葉をご存知ですか?
「神を知らない異邦人のように情欲におぼれず」(第一テサロニケ4章5節)
性の創造主である神様を認めず性の目的も意味も悟りえないなら、人は情欲に溺れてしまうと聖書は警告します。本人は恋愛や性の自由を謳歌しているつもり、でも実は、情欲の奴隷となり自由を失っている。これは、よくあることなのでは?
今、こうした「情欲に溺れさせるシステム」が日本社会の隅々にまで張り巡らされています。インターネットやマスコミを通じての性情報や恋愛観などは、その代表。中でも、特別に警戒すべきことの一つは、「当世お決まり恋愛パターン」でしょう。
「当世恋愛お決まりパターン」、それは少女漫画やテレビの恋愛ドラマ、恋愛企画番組などによって読者・視聴者に刷り込まれている極めて画一的な恋愛のパターンのこと。そして、若い世代の多くは、それを唯一の恋愛マニュアルであるかのように信じて、実際の恋愛を進めています。今回はそのパターンをステージごとに紹介し、一緒に考えてみましょう。
「好きになる」→「告白する」
まずは「異性に好意を持ったら、告白するのが当然」というパターン。今や小学生でも高学年となれば、周囲が囃し立てる中、公然と異性に告白するのだとか? テレビ番組の再現そのものです。それどころか「好きになったら告白しなければならない」そうで、思いを秘めることは戦わずして負ける「負け犬」を意味するのだとか。つまり片想いは敗者なのです。告白するか否かは本来個人の自由ですから、これは「恋愛ファシズム」と呼ぶべきでしょう。
このように片想いという選択肢を認めないことは、多くのプラスを奪うことを意味するのではないでしょうか? なぜなら、片想いは人を成長させるからです。片想いの中で、自分は相手からどう見られているだろうか? と自分を客観視します。愛するとはどういうことかを思索し始めます。内省力も高まれば、思考力も発達します。片想いは急速に思春期の子どもの人格や心を成長させます。ともすれば「好きになったら告白」のパターン化は、思春期の少年少女から貴重な人格的成長のチャンスを奪いかねないようにも思うのです。
「告白する」→「付き合う」
告白してOKなら、個人交際は当然なのだとか。このパターンもあまりに画一的ではないでしょうか? 互いの好意を確認するだけで満足という場合もあれば、個人的ではなく、グループ交際をしていくという選択肢もあるはず。
創世記の2章24節に「男はその父母を離れ」とあるように、10代は、本格的に親離れをしていく時期です。ならば、自立に向けての諸準備こそが優先されるべきでしょう。将来、自立した大人として生きるためには知識や技術に限らず学力(市民社会に参加する力)をつけていく必要があります。
(続きは本誌にて)
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