リバイバル・ジャパン|キリスト教の総合情報雑誌
地引網出版

リバイバルジャパン取材日誌

肉の死

更新日:2010年7月30日

科学者フランシス・コリンズが書いた『ゲノムと聖書』(NTT出版)を読み始めた。邦訳は2008年10月。信仰と進化論の関係などテーマが大きいこともあって、買ったまま読まずにいた。

まだ第1章を読み始めたところだが、取材に向かう電車の中で読んでいて、思わず瞑想に導かれる部分があった。科学的な本かと思っていたら不意打ちを食らった。

それは、ベネディクト会修道女が語った言葉で、あるイスラム教神秘主義の老女にまつわる話。(以下、要約)

ずっと昔、ガンジス河のほとりでいつも瞑想をしている老女がいた。ある朝、瞑想を終えた彼女は、川の中で流木の根にひっかかったサソリを見つける。もがいて逃れようとすればするほど根に絡まるサソリ。老女は、躊躇なくサソリに手を伸ばし、助けようとする。サソリは当然、伸ばされた老女の手を毒針で刺す。しかし老女は、何とかサソリを助けようと、何度も手を伸ばし、その度に刺されてしまう。

やがて老女の手は血まみれになり、彼女の顔は痛みで歪む。そこを通りかかった人は叫ぶ。「何をバカなことをしているんだ! そんな醜い生き物を助けようとして、自分は死んでもいいというのか?」 老女は答える。「自分に触れるものを刺すのがサソリの習性だからといって、それを救いたいという私自身の習性を否定すべきでしょうか」

(要約終わり)
 これを読み、やはり神の愛(アガペー)を想わずにはいられなかった。差し伸べられた手を嘲笑と共に払いのけていた自分。それでも主は、何度もその御手を伸ばし、私を滅びの縄目から救い出して下さった。イエスは、「何てバカなことを」と思われることをあえてされた。人を救おうとして、人から刺し通された。

(おっ、ここで「父さーん、ご飯だよー」と下で呼ぶ声が…。)

夕食が終わった。今日はホッケの干物と卵焼き、そしてご飯の上にシラスをまぶして食べた。シラスの上にどれだけ醤油をかけるか、これがなかなか難しい。今日は絶妙のバランスだった。

さて、電車の中で、父なる神の愛を想うと共に、私たちの肉の死についても想わされた。ガラテヤ人への手紙には、「キリスト・イエスに属する者は、自分の肉も、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである。」(5:24) 肉が殺されてしまった、ということだ。しかし同時に、「その自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。」(5:13)とある。霊的には「すでに」肉は殺されているが、実際には(魂のレベル?)「いまだ」肉は働いている。

この、自分の肉が死んでいくということについて、信仰によってそれを受け入れて安息する、ホーリネスの言う「きよめの体験」をする、などのことも言えるのだろうが、実際のレベルでは、人を愛することによって私たちは死んでいくのではないか、と思う。

人を愛そうとして、相手から毒針のような言葉を返される、愛せば愛すほど憎まれていく、感謝もされない、そういったことはあまたある。その体験を積み重ねていく中で、私たちの自我は十字架につけられ、頑なな心は砕かれ、肉は死んでいく。

一方で、愛そうとして、かえって毒針で刺されるような体験を一度ならず二度までもしていくと、「もう誰も愛さない」という昔のトレンディードラマのような心境になる。傷つくのが怖くなる。愛することが馬鹿らしくなる。だけど、自分は安全地帯にいて、傷の一つも受けることなく愛することってできるのだろうか? 玉置浩二よ、教えてくれ。

一般社会でもキリスト教界でも、何年も前から「癒しブーム」である。確かに、癒されることは必要なことだ。しかし、癒しをあまりにも強調し過ぎると、「傷つくこと」が悪になる。傷つけない、そして自分も傷つかない、とても神経質な人間関係が生まれる。言いたいことも言えないし、相手が言いたいことも言わせない、見えないバリアを張り巡らせる。仲はいいんだけれど愛し合ってはいない関係が、巷に漂い拡がる。

癒し主を信頼して、傷つくことも、傷つけられることも恐れない。そんな関係が皆のあいだに拡がるといいかも。(←すでに恐れている。) とか何とか言っちゃったりして。(←もっと恐れてる。それに死語だし。)

なお、コリンズの本は、読後、また感想を書きたいと思う。

夏の楽しみ

更新日:2010年7月24日

連日の猛暑日。しかし、夏だからこそ楽しめるものがある。

私はそもそも、こういうギラギラした夏が好きである。(性格は、あまりギラギラしていないが…。)

夏だからこそ、かき氷が食べられる。

夏だからこそ、アイスクリームが美味しい。

夏だからこそ、薄着でいられる。

夏だからこそ、サウナに行かなくても汗がかける。今日なんか、自転車に乗っていると背中が熱くなって岩盤浴に行ったみたいだったぞ。

夏だからこそ、海や川で泳げる。

夏だからこそ、クーラーの涼しさが身にしみる。

先日、会社のスタッフが、出社前にどうぢてもマックシェイクが飲みたくなって、駅前のマックに向かったら閉まっていたそうだ。しかしあきらめきれない彼女は、出社前にどうぢても冷たくてゆるゆるしたものを口の中に入れたくて、コンビニに駆け込み、ソフトクリームを買ってスーツのまま頬張ったそうな。(想像すると、ちと怖い)

そしてその話を聞いたもう一人のスタッフも、マックシェイクが飲みたくなって、その日か翌日の夕方、マックに入ってマックシェイクを注文したという。

その二人の行状を、あとで別のスタッフから聞かされた私の頭にも、「マックシェイク」という言葉が深く刻み付けられた。そして一人でマックに入り、あろうことか「マックシェイク一つ」と注文してしまった。もう25年もマックシェイクなぞ飲んだことがないというのに! 店員さんから、「種類は何になさいますか?」と問われたが、店頭メニューの見方がよく分からない。入り口に「ヨーグルト味のマックシェイクをどうぞ!」とかなんとか書いてあったのを思い出し、「よ、ヨーグルト」と返答。「100円になります。」(これ、外国人に日本語を教えるとき難しいぞ。「あのヨーグルト、100円になるんですか?」)

そして、出てきたマックシェイクを見て驚いた。小さい…。それに、コトッと置くな。あの若かりし頃に飲んだマックシェイクは、もっと大きかったぞー。水滴を垂らしながら、ドンッて置いてくれたぞー。(まあ、そのぶん高かったけど。)

さらに吸って驚いた。スースー吸える。あの頃のマックシェイクは、ほっぺたの筋肉が攣るほど飲むのに苦労したぞー。 みんな、ムンクの「叫び」のような顔をして飲んでたぞー。

ともあれ、典型的な営業戦略が、わが社のスタッフの行動パターンによって現出されたわけだ。一人(リーダー)が「マックシェイクが飲みたい!」と意味も無く叫び、それにフォロワーが付き、25年もマックシェイクを飲んでいなかったおじさんにまでシェアを拡げる。テレビでは、「ビールが飲みたーい!」「旅行に行きたーい!」「3D画像が見たーい!」と叫んでいる。

全国のクリスチャンが、本気で「神を礼拝したーい!」と叫べば、フォロワーもつくだろう。少なくとも、むかし教会学校に行っていた人、ミッションスクールに通っていた人の渇きを喚起するかもしれない。言葉には力がある、というのはこういうことである。

なお、人は、本当に思っていることを口にしたとき、声帯以外の各部位も共振し、相手の心に届く声になるという。心にもないことを言えば、上っ面な、まさに口先だけの声となり、人の心には届かない。説教も、自分が「アーメン!」と言えることを語らないと、会衆の心には届かないということだ。

あれ、夏の楽しみから、説教論になってしまった。おじさんはすぐに説教をしたがる。

ついでにリーダー論を言えば、ドラッカーの言葉だったか、「リーダーとはフォロワーがいる人」。付いてくる人がいなければ、リーダーではない。構造上、そういうことだ。

そしてリーダーを育てるというのは、トップリーダーが本気で信じていることを本気で信じられる人を育てること。本気・本音の言葉が連鎖して、各リーダーにもフォロワーが付く。ビジョンは末端まで共有されていく。それが、リーダーシップを発揮する、ということになる。

しかし、「教会にはビジョンが大切だ」と言ってビジョンを掲げても、主任牧師がそれを信じ切っておらず、どこかから借りてきたようなビジョンであるならば、その言葉には力が無く、フォロワーも付かない。

また恐いのは、リーダーが間違ったビジョンを信じ切ってしまうこと。ヒトラーなど間違ったビジョンを信じ込んでいたが、その言葉には人の心を揺り動かす力があり、全ドイツ国民が付いていった。

私たちのトップリーダーは、神の国の王イエスである。王が掲げるビジョンと牧師の掲げるビジョンが一致しているのかどうか、それは常に吟味しなければならない。そして「アーメン!」であれば、心を尽くして従うことだ。

以上、欧米型リーダーシップ論。日本人の場合、「言葉ではなく背中で引っぱる」という部分もあり、リーダーの本気度を行動で見ていく要素が高い。

男の格、日本の品格

更新日:2010年7月22日

私が子供の頃、故郷において、男の格は素潜りでアワビやサザエがたくさん取れる、大きなチヌが釣れる、罠で野鳥が捕れる、などによって決まった。勉強ができるとか、足が速いとかよりも、それら獲物を捕ることで大きな才能を発揮する男子は尊敬された。私は、素潜りは苦手で、釣りと野鳥捕獲が若干得意ではあったが、考えられないほど素潜りが得意な友人には、正直「人間として負けている」と思っていた。

またそれが、女子にもてる要素だと男子たちは自覚していた。小学校の臨海学校の時などは、誰に言われなくても素潜りを競って貝を捕ってきた。私は、素潜りでは勝負にならないので、魚をつくヤスを持参し、オコゼを突いて班の子たちに振る舞った。

その臨海学校はワイルドで、女子にも、弁当に生のナスを一本持ってきて、そのまま塩をふってかぶりつく猛者もいた。キュウリではない。あのぶっといナスである。彼女は、自分の子供たちにもナスを一本持たせているのだろうか。 「アケミ、それはお前の代でやめとけ。」

大阪では、男の格は笑いを取れるかどうかで決まるようだ。どんなに勉強ができても、どんなにアワビを捕るのが得意でも、笑いを取ることができない男は尊敬されない。だから必死で笑いの芸を磨く。

東京の男の子たちは、サッカーと勉強だろうか。

男は格付けが好きである、というより、いつも格付けを気にしている。就職すれば、ポストと年収だ。

教会の中にも、何らかの格付けが存在する。それがまた、自分の存在価値を脅かす。牧師の存在価値を脅かす。

クリスチャンも、何か語り合っていると、「ああ、この人はこれを自慢したいんだな」と分かることがある。以前、自分がいかにメッセージが上手いかを語ってくる若い牧師がいた。 自分が語ると会衆が泣くんだと。才能や影響力や、そういったものを明け透けに、またさり気なく伝えたい。それが男の性(さが)でもある。しかし、途端に会話がつまらなくなる。

思うに、土台となる「共通の価値観」と、才能(賜物)に応じた「多様な価値観」の重要度の差(それは非常に大きい)が分かると、自分の心が安定してくるのだろう。そして、人を尊敬できるようにもなる。自分の居場所と追求する分野が見つかり、人生も楽しくなる。

キリストを信じるというのは、その共通の価値観に出会えるということだ。アワビが捕れなくても(しつこい!)、勉強ができなくても、足が遅くても、絵が下手でも、楽しく充実して生きられるということだ。

私はまだ、愛とか心の広さ・強さなどといった共通の価値観に立ち切れていない。頭では分かっていても、心の座りが悪い。すると、これを極めた(極めつつある)、というものがないこともあって、時に自分が何者でもないように思える。人の才能をうらやむこともある。

ただ、この本を読んで、自分が集中すべきものがおぼろげに見えてきた。『雨降りの心理学』(藤掛明著)という不思議なタイトルの本だ。特に、最後の章「雨あがる」の分析が心にとまった。主人公の、出世と安定を求める自分と自由に楽しく暮らしたい自分という二つの心が「統合」される物語。

それぞれ、人によって統合されるべきものは異なるのだろうが、自分の中にある分裂した思いが、ゆっくりと統合されていくとき、外的な状況も変化を遂げるという。まるで、雨があがるように。これは、心の中のことであると同時に、人間の人生に神が介入される物語でもある。藤掛氏は、神という言葉を使わずに、そのことを説明している。

話は飛ぶが、明治維新後、特に戦後の日本は、米国にすり寄る「親米」と、米国を嫌悪する「反米」に分裂してきた。岸田秀や内田樹の指摘するところだ。自民党が親米を担い、社会党が反米を担ってきたのが55年体制。「鬼畜米英」と言ってみたり、「米国型民主主義は素晴らしい」と言ってみたり。分裂症患者のように両極端に振れる。

日本は今後、その親米と反米が統合される道を求めていくべきだと思う。沖縄の基地問題も、この心の状況を解決することが大切だ。まずはそういった病理がこの国に存在し、自分の中にも存在することを認める。日本の品格とやらも、そこから生まれてくるはずだ。

そして、そこに神は介入され、閉塞感をもたらす雨は上がり、見晴らしのいい新たな日本の物語が始まる。

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