リバイバルジャパン取材日誌
一人ではないということ。
先週の金曜日は、DCATの取材に行ってきた。ハワイからニューホープのウェイン・コデイロ牧師たちが来日し、「チームで行う教会づくり」というコンセプトを紹介していた。
浦安の駅から徒歩20分の会場まで歩いて向かったのだが、社員としての記者は私以外にいないこともあり、全ページを編集する疲れからか、「神さま、かなりしんどいです。一人で何もかもというのは…」みたいなことをつぶやき祈り(Twitter Prayer?)していた。心に否定的な波が次々と押し寄せていた。ガリラヤ湖の嵐の中、前に進めない船のようだった。
しかし、10分ほど祈った頃だろうか、「お前は一人でやっているわけではない。私が一緒にいる。」という主の語りかけを聞いた。会場に着く直前だった。すると、私の心に押し寄せていた否定的な波は静まり、内側に光が射し込んできた。明らかに感情が変わった。
取材を始めると、やはり主が導いてくださった。私が重荷に思っていることと同じ思いを持って地域教会で戦っている方との出会いがあった。また、旧知の友との出会いがあった。次の取材への導きもあった。何より集会自体が、日本の教会に伝えなければならない内容だった。
DCATとは、いわゆる「複数牧会」のことではなく、信徒一人ひとりがチームの一員であり、重要な役割を担うフルタイムミニスターであるということだった。教会内のメッセージテープの編集や子守といった奉仕にちゃんとした意味付けを行い、礼拝メッセージを「特別視」していないところに感動した。ウェイン牧師は、ウソ偽りなくそれを信じているようだった。
普通、メッセージとかワーシップリードとかは特別な奉仕で、それ以外の奉仕とはレベルが違う、という考えを抱きがちである。「今日のメッセンジャー誰? ワーシップリーダーは?」。メッセンジャーのすることは「ご奉仕」で、それ以外は「奉仕」。ワーシップリードとか奏楽は「カッコイイ奉仕」と認識され、異性にもてたりもする。そういった奉仕間格差(奉仕ヒエラルキー)が一掃されると、みんなが自分の奉仕に誇りを持てるようになる。そして、チームになれる。そういったことを考えさせられた。
日本各地、あるいは世界のどこかで、「私は一人で戦っている」と感じている方がおられるだろう。自分がやっている働きが無価値だと感じられ、「もう戦うことすらできない」と思っている方もいるかもしれない。
主がその方の心の波を静め、分厚い雲を分かち、天からの光を注いでくださいますように。
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