リバイバルジャパン取材日誌
先祖崇拝とキリスト教
先週の金曜日に発送した10月1日号に掲載していた「先祖崇拝とキリスト教―日本仏教の矛盾と私たちの態度―」(広島キリスト教会 植竹利侑牧師)の原稿について、いろいろなご意見をいただいている。
まずは、「この内容が非常に良かったので15冊買って、いろんな人に配りたい」というお電話。
もう一つは、「地方で偶像と戦ってきた自分としてはすべてを否定されたように感じた」というご意見。怒りを覚えて電話をしてこられた。記事中の「キリスト者であっても、お盆などの休暇を利用して故郷へ帰り、両親や家族、親族と会い、交わり、墓参りすることは非常に良いことだと思う。自分の家の墓だけでなく、戦争の犠牲者の慰霊碑を訪れたり、旧友を尋ねたり、家族と旅行を楽しむのも良い。しかし私たちは、「先祖崇拝」についてしっかりと学んでおきたい。」という文章の、「墓参り」と慰霊碑への訪問を肯定していることにショックを受けられたようだ。
植竹牧師が先祖崇拝や先祖への礼拝行為を容認しない立場にあることは分かっていたが、「植竹先生の教会では、どのような指導をされていますか?」と訊いてみた。すると、「墓前では軽く会釈をし、創造主への祈りを捧げるように」というものだった。昭和天皇が「崩御」した際に訪れた各国の元首たちが遺体の前で軽く会釈をしていたことも挙げられた。戦没者の祈念碑でも、そこで彼らの霊に祈りを捧げるという意味ではなく、米国のアーリントン墓地を訪れる人々のような態度で神への感謝をささげるというものだった。
もちろん、「墓参り」という言葉には故人への礼拝行為は含まれていないのだが、「親族の墓参りに同行し」や「墓に行き」などの言葉だと、より分かりやすかったかもしれない。
植竹牧師としては、親族の偶像礼拝を頭から馬鹿にせず、極力交わりを保ち、故人にも敬意を表し、心からの愛の行為ののちに伝道すべき、という主張である。
私は、こういったことも偶像礼拝ではない限り、「それぞれの信仰によって」と言うしかないと思っている。基本的に。信仰によって家の偶像を捨ててしまうという行為もあるだろうし、信仰によってそれはそのままに、注意深く偶像礼拝を避けていくという方向性もあるだろう。(愛によって働く)信仰によらないことが罪なのだ。
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