リバイバルジャパン取材日誌
「プログラム」と「ライフ」
この仕事をしていると、当然ながら様々な教会のプログラムを取材することになる。セルチャーチ、エリヤハウス、G12、リカバリー、アルファコース、etc…。欧米からのものと韓国からのものが多い。現在、RJではアルファコースの取材を進めている。
アルファコースはイギリスの教会で開発された伝道プログラムで、食事、ジョークを交えたアイスブレイク、賛美、聖書のメッセージ、スモールグループでの分かち合いが盛り込まれている。都会でも田舎でも、伝道の実を結んでいるプログラムだ。週1回、10週間これを行う。
私はその取材を進めながら、これって私たちの日常にある(あるべき?)ことだよな、と思った。食事を取りながら冗談が出て、歌が出て、お父さんが人生について語り、みんなが意見を言い合う。昔のドラマでよく出てくる、ささやかな家の宴会。見方を変えれば、現代社会が無くしたものを「プログラム」によって回復しようとする試みだとも言える。
で、私たちの人生は、「プログラム」がないと上手く機能しないようになっているのか、教会もプログラムがないと機能しないのだろうか、と思った。「では今から○○をやります。次は△△の時間です。この時間は~をしないでください」。そして礼拝も一つのプログラム。「プログラム」から「プログラム」へ。その隙間が「自由な時間」。私たちの生活(ライフ)とは、プログラムをこなすことで成り立っているのか。
しかし私は、アブラハムのこと、イサクのこと、ヤコブのことを思う。彼らは人生の様々な出来事に際して、祭壇を築き、礼拝をささげた。まだ律法も与えられず、生活が神との対話だった時代。
私たちは今、律法から解放され、アブラハムの子孫とされた。「プログラム」がないと安心できない現代人にプログラムを通して伝道することには、何ら異論がない。ただ、クリスチャンの生活というのは、基本的に、状況に応じていかようにも変化していい(スポンティニアスな)ものではないかと思うのだ。その認識の上にプログラムの導入はあると。
「プログラム」と「ライフ」。これは、「公」と「私」の問題も絡み、社会学的な探求かもしれないが、自分としてはかなり大きな問いとなっている。つまり、教会のあらゆる決め事をチャラにして、何か大きな流れの中で時に応じて礼拝をささげ、献金や援助をし、神への奉仕をしていくということである。
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