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特 集

イスラエルとパレスチナ

ユダヤ人とアラブ人「新しいひとりの人」に
カルメル・アッセンブリーで進む和解
パレスチナ国家の承認を巡ってユダヤ人とアラブ人の対立が深まっている。人間の知恵では決して一つになれない二つの民族だが、ここイスラエルには、キリストにある「新しいひとりの人(One New Man)」を目指して互いに努力する教会がある。ユダヤ人とアラブ人が共存する町ハイファから報告する。【エルサレム=石堂ゆみ】

ユダヤ人とアラブ人「新しいひとりの人」に

アラブ人教会の礼拝にユダヤ人信者が出席

イスラエル北部ハイファの市街地にあるニュー・カバナント・チャーチ(NCC ユセフ・ダクワ牧師)は、カルメル・アッセンブリー(デイビッド・デイビス牧師)の支援を受けて成長してきたアラブ人のための教会だ。賛美もメッセージもアラビア語。出席するのはイスラエルの市民権を持つアラブ人たちである。しかし、密かにイスラエル入りを果たしてそのまま不法滞在を続けるパレスチナ人もいるため、そうした人々も含まれているのかもしれない。ある日曜日、この教会の礼拝にカルメル・アッセンブリーのユダヤ人信者、異邦人クリスチャンが招かれ、共に主を礼拝した。

特別なカンファレンスではなく、アラブ人の教会で行われる通常の礼拝にユダヤ人が出向くことは、イスラエルではあまりないことだ。両者の間には、まず言語・文化の壁がある。さらに、アラブ人は子どもの頃からユダヤ人とイスラエルを憎むようにと教えられて育っている。実生活においても、多数派のユダヤ人の中で生きる少数派のアラブ人として、様々な差別に直面している。たとえ救われても、その壁が簡単に崩れることはない。

ユダヤ人にしても、嫌われているのにわざわざ一緒に居ようとは思わない。従ってイスラエルでは、ヘブル語でユダヤ的礼拝を行うメシアニック・ジューと、十字架を堂々と掲げてアラブ文化一色の礼拝を行うアラブ人信者は、別々の場所で礼拝を持つことの方が自然なのだ。

礼拝は日曜日の午後7時に始まった。この日はNCCのメンバー約100人に加え、カルメル・アッセンブリーからユダヤ人、異邦人も参加し、会場はほぼ満席状態だった。ダクワ牧師の導きでしばらくアラビア語の賛美が続いた後、ユダヤ人のカレン・デイビスさん(カルメル・アッセンブリーの牧師夫人)が舞台に上がり、アラビア語の賛美を交えながらヘブル語の賛美を導いた。

アラビア語の賛美は、日本の賛美とはリズムもメロディも相当に違う。短調系で日本人には平板な感じにも聞こえる。しかし、メシアニック・ジューが捧げるヘブル語の賛美にはアラビア風のものも多数あり、アラブ人教会でも違和感はあまりない。また、イスラエル在住のアラブ人たちは皆ヘブル語を使えるので、歌詞にも問題はない。主の臨在に満ちた賛美の後、メッセージが取り次がれた。

デイビス牧師が語ったメッセージは、「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(第二コリント5・17‐20)から。「主が『すべて』と言われるのだから、本当に『すべて』である。私たちがユダヤ人だ、アラブ人だ、と言っているのは、肉による古い事柄だ。キリストにあって私たちは皆、まったく新しいのだ!」

デイビス牧師はさらに、ハイファに住んでいる特権を語った。「ハイファは人口の10パーセント近くがアラブ人であり、エルサレムやテルアビブと違って、ユダヤ人とアラブ人が平和に出会う機会に恵まれている。イスラエルには信仰の自由もあり、共に礼拝しても訴えられることはない。One New Manを実現するとしたら、この町ほど適した場所は他にない。私たちには和解の務めがゆだねられているのだ(第二コリント5・19、20)。」

この後、NCCのメンバーとカルメル・アッセンブリーのメンバーは、主の前で互いに祈り合う時を持った。この日、一番浮いていたのは、アジア人の記者(私)だった。しかし、ユダヤ人とアラブ人がキリストにあって一つになっている姿、いや、なろうとしている姿は、世では両者の関係が悪化する一方である中、痛々しくもまた感動する光景だった。

NCCのダクワ牧師に、ユダヤ人と共に礼拝することに抵抗感を持つ人はいないかと聞いてみた。すると即答で、「福音は単なる理論か? それとも真実か? 福音を信じるなら、私たちは福音に生きるべきだ」と語った。メンバーには、常に福音に生きるようにと教えているそうだ。

ダクワ牧師は自信を持って語る。「福音に生きているならば、ユダヤ人もキリストにあって兄弟姉妹だ。私たちも主に赦されたのだから、互いに赦し合うのは当然。政治家の方々には感謝しているが、政治ではアラブ人とユダヤ人は一つにはなれない。それはキリストにある教会だけができることだ。私は、世とはまったく別の方法でアラブ人とユダヤ人が和解できることを示したいと思っている。」

One New Manの先駆者

カルメル・アッセンブリーはその名の通り、イスラエル北部のカルメル山に拠点を置き、広くハイファ市で伝道を進める教会である。礼拝出席者は 300人程度で、60パーセントがロシア系ユダヤ人。また、サブラ(イスラエル生まれ)のユダヤ人、アラブ人、南レバノンから逃れてきたクリスチャン、難民のスーダン人、アメリカやヨーロッパ、韓国人など様々な人種が集う。主任牧師はアメリカ人のデイビッド・デイビス氏だ。妻のカレンさんはユダヤ人で、油注がれた賛美リーダーでもある。共同牧会をするピーター・ツカヒラ氏は日系アメリカ人牧師。その妻リタさんもユダヤ人だ。その他に、イスラエル生まれのユダヤ人、ダニー・ザヤック牧師、ロシア系移民のボーバ・ウラジミール牧師、アラブ人のユセフ・ダクワ牧師などがスタッフを務める。まさにOne New Manを生きている教会と言える。

デイビス牧師夫妻がイスラエル宣教に召されたのは20年前の1991年のこと。麻薬に縛られている人々を救いとキリストにある新たな人生に導くという、明確な神の召しを受けていた。その召しは現在、男性のための麻薬解放の家「ベイト・ニツァフォン(勝利の家)」として実を結んでいる。ここではユダヤ人もアラブ人も同じ罪人として、同じイエス・キリストの福音による解放を受け取る。このホームで最後まで忍耐した人の麻薬完全解放率は80パーセントだといい、その多くが献身者にまで成長し、結婚し、家庭を守る男性になっている。そのプロセスにはユダヤもアラブもない。

しかし、麻薬といった特別な課題を持たない一般の人々の間でも、ユダヤ人とアラブ人は真に一つになれるのだろうか。デイビス牧師に、NCCは別として、ユダヤ人の妻と共に働く場合にアラブ人信者からの抵抗感はないか、と聞いた。すると、「もちろんある。それ(ユダヤ人とアラブ人の一致)は簡単なことではない」と即答。デイビス牧師は、まるでタブーにでも触れたかのように答えた。イスラエルでは通常、そういった話題は口に出さないのが礼儀なのだ。さらに、「その両者の壁は、聖霊が動いて初めて落ちる」と、極意を伝えるように静かに語った。

デイビス牧師は、イスラエルにおいては、ユダヤ人がアラブ人を受け入れるより、アラブ人がユダヤ人を受け入れる方が難しいという事実を否定しなかった。アラブ人がユダヤ人を受け入れるためには、心に刷り込まれたユダヤ人への憎しみから解放されなければならないからだ。しかも両者の争いは終わっておらず、現在も進行中である。一方のユダヤ人は、過去いかにテロや戦争があったとしても、基本的にアラブ人を憎むようにとは教えられていない。また国内における多数派としての余裕もある。

しかしユダヤ人には、ホロコーストの経験があるため、福音以前に、神の存在自体を受け入れられない人がいる。また、たとえ救われても、民族的な迫害による深い傷により、アラブ人を含め、異邦人を兄弟として受け入れることが難しい人もいる。結局、双方共に“プロセス”が必要だとデイビス牧師は語る。

「いいかい。One New Manというのは、少しでも肉の思いや傷を残している間は実現しないのだ。これは純粋に霊的にのみ実現することだ。考えてみなさい。アラブ人はユダヤ人を憎み、ユダヤ人は後から来たロシア人を憎んでいる。また韓国人は日本人を憎んでいる。誰もが誰かを憎んで生きている。それが人間だ。」

デイビス牧師は神の召しに従い、教会でのメッセージの他、インターネットや書籍でOne New Manを教え続けている。しかし、教えによって人為的にOne New Manを作り上げようとはしていない。聖霊の導きに完全に委ねている。20年以上イスラエルで戦ってきたこのベテラン伝道者からは、気負いのない余裕というか、何か大きなものを感じた。

アラブ人がイスラエルを選んだ主を知るとき

カルメル・アッセンブリーは福音主義でありつつ、置換神学には立たない。そして、アラブ人にとってはとても受け入れ難いことだが、教会では「イスラエル」の存在自体がすでに聖書的であり、またユダヤ人が祝う例祭は単にユダヤ文化ではなく、聖書的であるとも教えている。同教会では、過越しの祭りを教会上げての伝道集会とする。仮庵の祭りではスッカ(仮庵)を建て、ユダヤ人のようにその下で共に時を過ごす。

こういった聖書的例祭をアラブ人はどう受け止めているのだろうか。ある時、過越しの催しにアラブ人信者が招かれてやってきた。過越しのセダー(夕食の式次第)にはイエスの十字架と復活の意義が込められている。聖書を読み進めながら一つひとつの食べ物を食べる。すると、主の深い愛に触れられて、そのアラブ人信者が泣き始めたという。イスラエルを愛する主をアラブ人が受け入れた瞬間だった。過越しの祭りが、ユダヤ人伝道だけでなく、アラブ人との和解にも用いられているのだ。

ユダヤ人とアラブ人のOne New Man。これが今の世界で一瞬であっても実現したなら、それはまさに天国の前味と言える。中東問題が混沌とすればするほど、彼らの一致は光となって輝く。ハイファに、そしてイスラエル全体に、世が注目するような一致とリバイバルが来るようにと祈る。

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