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神 学

N・T・ライトに関するセミナー

世界的に注目を集める神学者の主張とは?

英国国教会の主教を務め、現在はスコットランドの聖アンドリュー大学の神学部で教鞭を執るN・T・ライト(Nicholas Thomas Wright 1948―)。過去20年間、ケンブリッジ大学、オックスフォード大学などで新約学を教え、その発言と行動は、キリスト教界はもとより一般のメディアでも頻繁に取り上げられる。10月18日、そのN・T・ライトの神学について語り合おうと、東京・お茶の水クリスチャンセンターで「N・T・ライト セミナー」が開催された。N・T・ライトは、ビル・ハイベルズ牧師が牧会するウィロー・クリーク・コミュニティチャーチにも招かれるなど、福音派の教会にも受け入れられ始めている。

N・T・ライトに関するセミナー

発題を行ったのは、以前よりN・T・ライトに関心を持ち、原書を読んだり、研究を続けてきた小渕春夫(出版社あめんどう代表)、小嶋崇(巣鴨聖泉キリスト教会牧師)、上沼昌雄(聖書と神学のミニストリー主宰)、高橋秀典(立川福音自由教会牧師)の4氏。

最初の発題者小渕氏は、ライトの「天国理解」について解説した。臨死体験をした少年の証を書いた『天国は、ほんとうにある』(トッド・バーポ、リン・ヴィンセント共著)などの本がベストセラーになるように、イエスを信じた人間は死後、その霊的な天国に行けるという考え方がある。ライトはそれに異を唱える。「ギリシャ思想の影響を受けた西洋の教会が何百年も教え、描いてきた天国観は私たちが行き着く終着点ではない。イエスを信じる者は死後、いつか肉体が復活する時が来て、新しく再生された地上に戻ってくるんだ。」と主張する。小渕氏はまた、賛美歌で「御国につく朝」「主よ、御許に近づかん」と歌われるとき、それは霊的な天国が想定されていると指摘した。

「神の国」と「永遠のいのち」の関係についても解説。ライトの主張として、イエスが神の国を開始したメシアであり、永遠のいのちとは、死んだら永遠に天国で生きていく、という意味と言うより、「その新しい時代、新しい世界を共に与って新しく生きていくことである」と説明。つまり、今、神の国は始まっており、キリスト者は永遠のいのちを生きているということだ。

応答として高橋氏は、1999年にカナダのリージェントカレッジでN・T・ライトを講師とする牧師セミナーが開かれ、その案内に「福音書のテーマとは何か?」「福音書のテーマは神の国だ」と書いてあるのを見て、「神の国」を基点に福音を語る重要性に気づいてその牧師セミナーに出席したとの経緯を語った。

小嶋氏は、ライトの主張する複雑でダイナミックな聖書の権威観を紹介。まず強調したのは、イエスが言った「わたしには天においても、地においても、一切の権威が与えられています。」(マタイ28・18)から、ライトが最終的な権威は神にあることを基点として聖書の権威の捉え直しをしていること。聖書は「間接的な権威」を持ち、その主体である神の権威を体現する媒体であるということだ。

ライトが用いるのは「5幕からなる劇」のモチーフ。?創造(創世記1?2章)、?堕落(創世記3?11章)、?イスラエル(アブラハム→メシア)、?イエス(十字架の死と復活に至る公的宣教)、?(a)初代教会?(ω)究極の終末。
この5幕の中で、???(a)までは既に終わり、幕が下りている。現在は(ω)に向かう途上であり、我々は先行する「神の壮大な贖いのドラマ」を繰り返し読み返して、その“権威”ある筋書きから「今をどう生きるか」を理解し、即興で演じる(improvise)。その場合、ドラマは進行しているため、過去の役者の行動を繰り返すのではないことを理解する。

つまり、聖書にあるモデルの通りに生きるのでも、過去のキリスト教会の成功体験を繰り返すのでもなく、その筋書きと流れから、円熟した役者のごとく即興的かつ信仰的な“現代における行動”を起こすということ。そのために繰り返し聖書を読み、深く祈る。

小嶋氏の発題後、フロアーから次の質問があった。「私は福音派の教会でずっと育ってきたが、聖書は神の霊感によって書かれた一字一句間違いないものであると教えられてきた。ライト氏の考えはどうなのか。」

これに対し小嶋氏は、次のように答えた。「ライトは色々なところで、聖書の逐語霊感説に関して『啓蒙主義の影響を受けている』と批判します。実証論的で、真理があたかも文書というものの中に閉じ込められ、それを拾い出して羅列するような。そういう静的で窮屈な聖書観から解放されて、もっとダイナミックで聖書全体を流れるドラマの中に戻したいというのが彼のねらいだと思います。1節とか数節ではなく、全体の流れを大切にするということです。」

高橋氏は応答として、セミナーで実際にライトに会ったときに行った質問を紹介。「ライト先生のアプローチはとても新しく感じるのですが、それをどこから学んだのですか。誰の、どういう伝統の中で学んだんですか。」と質問すると、ライト氏は「ちょっと傲慢に聞こえるかもしれませんが、私は繰り返し、繰り返し聖書を読んだのです。」と答えたという。

上沼氏は発題で、N・T・ライトが神学者であると同時に「歴史家」であることを語った。ライトの著書『Simply Christian』(未邦訳)の中で、ヨーロッパ人のライトがイスラエルのホロコースト記念館を訪れた際に感じた内容を記した文章を紹介。「ユダヤ人について何かを言おうと思えば、悲しみで心がうずき、首を横に振りたくなる。深い恥を感じる。…ユダヤ人の物語について何も言わないということは、ヒトラーが現実化する前から長い間潜在していた反ユダヤ主義を黙認することになる。どんなに戸惑いがあっても、語らなければならない。」(同書6章より)

上沼氏はこの文章を受けて次のように語った。「2000年の教会の中で生まれてきた聖書理解というのは、基本的には反ユダヤ主義ではないか。荒っぽい表現かもしれないが、ヨーロッパの教会というのは反ユダヤ主義であり、ナチスを容認してしまうものを抱えていたのではないだろうか。そのことを言及してくるライトの歴史観、歴史感覚はすごいと思った。」

上沼氏はさらに、同書の1章で一世紀の聖書世界について説明しているくだりを紹介。新約聖書が築き上げられた一世紀は宗教としてはユダヤ教、哲学としてはギリシャ哲学、政治形態としてはローマ帝国があった。ヘブライズムとヘレニズムとローマ法の三つ巴の世界だった。それが、地中海世界にキリスト教が広まるにつれてユダヤ的なものが削られてしまい、反ユダヤ的なものがキリスト教会に根付いた。そこにライトは一世紀のユダヤ教を取り戻し、旧約世界と新約世界を結びつけて聖書全体の世界観を見ようとしている。

高橋氏は、まずダニエル書に関するキリスト教界一般の誤解を指摘した。イエスが死刑判決を受けた最大の原因は、マタイの福音書26章64節以降にあるように、ダニエル書7章13?14節を引用して自らがその「人の子」であると言ったから。つまりダニエル書7章は、再臨について言及している聖句ではなく、十字架を通して人の子が今や栄光の御座に上げられる、王の王、主の主としての支配が始まる、そのことを言っている。そして「雲」というのは神の栄光のこと。

またディスペンセーション神学では、ダニエル書9章以降から熱心に70週の計算をしているが、ライトの研究によると、実はイエスの時代に70週の計算が盛んで、ユダヤ人たちは紀元1世紀が70週の時代だと理解していた。そこで、ローマに対する最終的な勝利があると理解して戦いを挑み、国を滅ぼしていった。現代のディスペンセイショナリストも、当時のユダヤ人たちの理解を踏襲している。

これに対しライトは、ダニエル書のテーマは「復活」であると言っている。ダニエルがライオンの穴から解放されたこと、シャデラク、メシャク、アベデネゴの3人が燃える炉から無傷で出てきたこと、これらは復活のモデルである。

高橋氏は、書かれた言葉の1節1節を細かく分析するような読み方ではなく、書全体のテーマを掴むことの重要性を強調した。

(本誌・谷口和一郎)

 

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