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レポート

石原良人氏、主の御許へ

日本の教会にセルチャーチの概念をいち早く紹介し、ジャパンセルチャーチミッションネットワーク(JCMN)のコーディネーターとしても活躍した石原良人氏(単立・国際クリスチャンバプテスト教会牧師)が8月24日、多発性転移ガンのため、57歳の若さで主の御許に召された。
石原良人氏、主の御許へ

「ジョシー」の愛称で親しまれた石原氏。教会の開拓期は路傍伝道と弟子訓練を通して多くの若者をキリストへと導き、セルチャーチを導入、さらに解放のミニストリーやチェンジングライフといった霊的解放の働きを推進した。その後は、未信者の中に入っていって、うつやひきこもりとなった人々のカウンセリングに力を入れてきた。彼はいつも「先駆け」だった。

肺腺ガンが見つかったのは昨年3月、それは手術で切除したが、今年5月、脳にガンが転移し、肝臓にも多発性転移ガンが拡がっていることが分かった。石原氏が主治医に余命を尋ねると「2ヶ月か、3ヶ月です」との答えだった。

8月26日の前夜式、27日の召天式には全国から200人が集まった。一般の斎場であったにも関わらず、結婚式や披露宴のような明るい雰囲気だった。生前の石原氏の願いでもあった「復活の祈り」も未信者の前で捧げられた。

「父の心」で

石原氏のミニストリーを振り返ってみると、そこには、まるで天の父のように痛みを持った人々を受け入れる姿があった。彼は、自分の生い立ちで経験した痛みから、傷を負った人々や、社会で受け入れられない人々の父のような存在でいたいと願ってきた。

私(五十嵐義隆)の石原氏との出会いは、5年前のイスラエル。当時は、セラピストとして、うつやひきこもりとなった人々のために多くの時間を費やしていた。 また、どうすれば日本社会に神の価値観が浸透していくだろうかと模索していた。「トランスフォーメーション」という神の業が全世界で起き始めている時、石原氏も、日本が神の国の価値観で変革されていくことを切望していた。

当然、石原氏と会うと、いつも神の国の拡大の話しになった。教会の建物の中やクリスチャンの集まりの中だけではなく、もっと外の世界で、様々な分野で神の支配が実現してほしいと願っていた。だからこそ、未信者の世界に出て行ったのだ。

それまでは、自分が牧会する教会の成長を意識しながら、様々なやり方を模索して来た。セルチャーチの導入もその一つ。リーダー訓練が功を奏してか、教会は若者で溢れかえり、病のいやしも次々と起こっていた。「24時間7日間」の祈りのミニストリーにも力を入れていた。

しかしその後、教会を後継者に任せ、自らは教会外の羊を追い求める働きに重心を置くようになっていく。カウンセラー、セラピストとして、各地で講演会やカウンセリングを行ってきた。また、ブログも有効に用いて、問題を抱える人々の相談にのってきた。

昨年、ガンの切除手術を経て回復のプロセスにある頃、石原氏と東京で会って会話した。彼はこう言った。「俺も人のことを言う前に、もっと自分のことを見つめ直さないとダメだ。偽善者にはなりたくないから、まずは家族との時間を大切にし、妻と向き合うよ。」ミニストリーに没頭するあまり、家族と向き合う時間が少なかったのかもしれない。

しばらくして、末期ガンの宣告を受けた石原氏から携帯メールが入った。すぐに飛んでいって、病室で祈り合った。その後、死人が蘇ることで有名なジョセファット・ガジマ氏も電話で彼のために祈り、ヘンリー・グルーバー氏も病室に行って癒しを祈った。

死も癒しも、どの選択肢も受け入れながら、この試練の中でひたすらイエスご自身を求め続けた。そして、人生で求めていた答えを全存在で得て、体験した。そのメッセージを教会のウェブ(http://www.icbc.net/josie100730.mp3)から聴くことができる。

石原氏は「神に喜ばれること」を模索し、神の国の実現を目指していた。しかし、最期に神が彼に語ったのは、活発な行動やミニストリーの成功ではなく、「お前と一つになりたい」ということだった。
(文・五十嵐義隆)

石原良人氏 最後のメッセージ (要約)

この入院中、自分の心がどんどん変えられているんだけど、平安がいっぱいだよ。安心もいっぱい。そして、これが試練であることをちゃんと受け入れて握りしめることができてから、人生が変わったよ。

神様が俺に対して、「お前が欲しいんだよ」って。「お前と一つになりたい。」「お前の心を本当に良くしていきたい」って。

ガンは本当に苦しいよ。本当に気持ち悪くて、もう吐いているときにはどんどんエネルギーがなくなっていく。体力がどんどん落ちていく。

でもそんな中で、神様がこれを許しておられることが分かってきた。これは恵みだって。神さまが欲しいのは俺の心だって。

神様は言ってる。俺が好きだって。普通以上に好きだって。それであんまりにも好きで、自分がこの試練の中に入ることを許してくれた。

俺は、神さまと、本当に霊と霊で話しをした。あなただけが欲しい。あとはもういい。いらない。もう何も。あなたがいればいい。

よく俺、ピリピ人への手紙3章からメッセージしたことあるよね。割礼の話。あそこから裸になることとか、いろんなこと言ったけど、まだまだ自分が裸になり切れていなかったし、理論だけだったっていうことがよく分かったよ。

しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。(ピリピ3・7―8)

ちりあくただよ。今はキリストを知ってるから素晴らしい。キリストを知ってんだから、もうそれで満足。俺もいろんなミッションやってきたけど、それはもう横に置いといていい。イエス様を知っているだけで、イエス様と一つになれたことだけで十分。イエス様以外に誇るものはない。

このガンも、俺の心をきよめるためだったんだって分かった。そうだったんだって。

前は、見えるものを誇ろうとする人たち、自慢する人たちとか、これが問題だって、裸になれない人たちだって言ってたけど、人って裸になることは難しいんだって思った。自分もね。でもイエス様は裸にされたんだよね。俺達のために。すごいよね。イエス様は天の栄光を捨てて、最後に十字架の上で裸にされたんだよ。喜びを、その後の喜びをかみしめながら…。

もし俺がこの試練を通過したら、神様はいろいろなミッションをくれると思う。しもべとして、できることはやりたい。神の御心に従いたい。でもそれは、大切なことじゃない。救ってくれたイエス様と一緒にずーっと過ごせる、もうそれだけで満足。イエス様以外いらない。だから自分は、このガンになれたことを神様に感謝してる。

俺はねぇ、幸せ者だよ。普通の人よりも愛されてるんだよ。何かできるとか、そんなバカなことじゃない。何かを達成するとか、そんなアホなことじゃない。神さまは俺が欲しかったって。心が欲しかったんだって…。最高に幸せだよ。たぶんパウロも、そう思ってたんじゃないかな。

最後にみんな、本当に祈りをありがとうね。ちゃんと祈りは聞かれてるよ。こうやって、俺は幸せ者になったんだよ。

愛するイエス様、あなただけが宝です。新たな宝に出会って、見えなかったことを経験的に掴めるようにしてくださって、神さま感謝します。幸せ者にしてくれて、ありがとう。イエス・キリストの御名で祈ります。アーメン。

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