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特 集 2

「いよいよ日本にリバイバルが来る」

韓国と日本が一つになって世界宣教を
とりなし手 文惠仁さん インタビュー


韓国リバイバルミッションで通訳を務めた文惠仁さん(58)は韓国リバイバルの真っ直中で生まれ、若い頃は日本にも留学した。神に導かれればアメリカでも日本でも、すぐに行ってとりなしの祈りを捧げる。韓国キリスト教の変遷と今回のリバイバルミッションの感想などを聞いた。(聞き手・谷口和一郎)

「いよいよ日本にリバイバルが来る」

――文さんの全日本リバイバルミッションとの関わりはいつからですか。
 まず私と日本の関わりですが、1978年から84年まで、上智大学で社会事業を、早稲田大学で日本文学を学びました。帰国後は、霊に関する働きをするようにと神様に示され、神学校に入学しました。現在は、韓国春川市の春川主香教会(イ・ビョンチョル主任牧師)に集いつつ、10人程のとりなしのチームと共に国内や国外を回っています。2007年には、元KBSプロデューサーで今はリバイバルのために働いているキム・ウヒョン監督のチームと新城教会を訪れ、そこで滝元先生たちと出会いました。それ以降、通訳者として同行させていただいています。

――韓国リバイバルの始まりについて、どのように理解されていますか。
 韓国リバイバルのルーツは1907年の平壌リバイバルにあります。今の北朝鮮の平壌で大リバイバルが起こりました。でも1910年から始まった日本による植民地支配で、神社参拝をさせられるようになり、リバイバルの火は消えていきました。その後、1950年に朝鮮戦争が起きて、北のクリスチャンたちが大勢、南に逃げてきました。そして彼らが韓国全土に教会をつくったのです。朝鮮戦争休戦(1953年)後には、多くの家族が北と南で分断されましたから、神様に叫ぶしかない状態が生まれ、そこから韓国のリバイバルが始まっていったのです。

私は1953年の生まれですから、物心ついたときには既にリバイバルが始まっていました。国のあちこちに祈祷院がつくられ、リバイバル聖会が開かれれば、月曜日夜から土曜日朝まで、一日3回の聖会がずっと続きました。激しい涙の祈りがあり、何人ものリバイバリストが、ものすごい情熱で真っ直ぐに御言葉を語っていました。

――そのようなリバイバルはいつまで続きましたか。
 1974年にヨイド広場で100万人集会「エクスプロ74」が開かれ、韓国のリバイバルにさらに火が付きました。70年代、80年代はリバイバルが続いていましたね。でも90年代に入った頃から、その勢いが止まってきたように感じます。次の世代が教会から離れていく傾向も現れてきています。

またその頃から、インターネットの普及によって、反キリスト的な動きと言いますか、キリスト教や牧師に対する批判がネット上でものすごく広まるようになりました。最近では一般の新聞などで大教会の牧師のスキャンダルが大々的に報道されています。

――リバイバルの初期と現代では語られるメッセージの内容は変わってきましたか。
 私が幼い頃に語られていたメッセージは、十字架の道。イエス様を信じて生きることは決して楽な道ではなく、十字架を背負って歩む厳しい道だと。賛美も、そういう賛美が多くて、よく泣きながら歌ったものです。しかし、いつの間にか繁栄の神学がよく語られるようになりました。イエス様を信じたら事業は祝福される、お金も入ってくる、全ての問題は解決される、という風に。そしてそういうメッセージを語る教会に人々が流れていきました。

苦難の歴史の中で、神様の前に叫ぶ祈りは与えられたのですが、それが個人的な懇願にとどまってしまったように思います。これは、キリスト教以前に韓国に存在したシャーマニズム的宗教の影響があり、祈る対象が変わっただけだとの見方もできます。神様の御心に従って生きるというよりも、現世利益を求め、人生がうまくいくために神様を求める信仰です。そして、熱心さがそのままその人の信仰の評価になってしまうという傾向があって、神様に切実に熱望すれば祝福が臨むという、自分の努力で神様の祝福を獲得できるという考えが広まりました。聖書は、神の主権が最も大切だと言っていますよね。

また、いろんなプログラムが外国から入ってくるようになって、プログラムによる教会成長を求めるようになりました。聖霊よりもプログラムを重視する傾向です。牧師も海外に留学して博士号を取ったような知的な人が多くなり、聖霊についてはあまり語られなくなりました。これには、聖霊を強調する教会の中に「異言を語らなければ天国に行けない」などの極論があり、それに対するアレルギーもあったのだと思います。でも、そういう知性偏重、エリート主義になって、教会は以前ほど聖霊を求めなくなりました。

――韓国のクリスチャンの方から、そこまで冷静に韓国教会を見ている意見を初めて聞きました。牧師の権威についてはどう思われますか。
 やはり韓国は儒教社会で、教会もその影響を強く受けていますから、自教会の牧師先生に対する尊敬とか信頼には大きなものがあります。それは良い面もありますが、大教会の牧師が王様のように振る舞い、一般信徒からは遠い存在になっている傾向もあります。高給を取り、高級車に乗り、いい家に住む。一方で日本の教会の良いところは、牧師と信徒の間に距離が無いことですね。イエス様が弟子たちや群衆と一緒に歩まれたように、信徒の近くを歩んでいる。滝元順先生たちを見ても、そのことを強く感じます。

――数年前から全日本リバイバルミッションの韓国での活動を見てこられたわけですが、何を一番感じましたか。実は彼らの働きに対して、日本では批判や誤解もあるのです。
 順先生や望先生が、決起大会やとりなしの祈りで韓国全土を回ってくださいました。一言で言えば、とても励まされています。韓国のクリスチャンにはできないこと、韓国の教会が忘れかけていることを日本の牧師が語り、この国をきよめる作業をしてくださっています。

それは、先祖崇拝と偶像礼拝に対する警告です。韓国ではチェサという先祖崇拝の儀式があり、長男は絶対にこの儀式をやらなければなりません。クリスチャンになれば当然、それを拒否すべきですが、迫害も強い。それに対して、韓国の教会はあまり強いことを言わないのです。個人が戦おうとしても教会がバックアップしてくれないのですから、戦えません。順先生たちは、その問題が悪魔との契約であり、悔い改めが必要だと正面から言ってくれています。

(続きは本誌で)

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