舟の右側
地引網出版
キリスト教雑誌 舟の右側

ワイチローの取材日誌

リバイバルジャパン取材日誌

実を結ぶ木と畑

更新日:2025年11月26日

「舟の右側」12月号のMessageはキース・スミス牧師による「聖書の黙想」。詩篇1篇から、時が来れば実を結ぶ「流れのほとりに植えられた木」となるために、人間の側として何をするのかが語られている。その一文。

もしも私が花壇の手入れをするために庭に出て行き、四六時中雑草を引き抜き、邪魔な石を取り除いて過ごすだけで、何の水やりも、肥料を施すことも、日光が隈なく照らすための工夫もしないとするなら、その花壇はうまく育つでしょうか。全く貧弱な花々しか咲かないに違いありません。私たちの霊的生活においても、光輝く事柄を加えていくことは、影の差す事柄を取り除くことと同じくらい決定的に重要なのです。

この訳文の「光り輝く事柄」は直訳すると「ポジティブな事柄」、影の差す事柄は「ネガティブな事柄」。つまり人が育つ上で、悪いものを取り除くだけではだめで、良きものを提供し続ける必要があるということ。罪や悪の要素を取り除くだけではなく、いのちの要素を取り入れていかなければならない。

日本の教会が神の畑だとして、その悪い部分を指摘していく働きは「ジャーナリズム的」だと言われ、キリスト教メディアや牧師・宣教師などで、その働きをしている方がおられる。しかし同時に、悪い点を指摘するばかりで、いのちの要素を提供しないとしたら、畑は良い実を結ばない。

舟の右側は、いのちの要素を提供することを中心にしつつ、そこにジャーナリズム的要素も加えたいと願っている。

チャーリー・カークの死と赦し

更新日:2025年9月26日

9月10日、アメリカの保守系活動家チャーリー・カーク氏が31歳の若さで暗殺された。彼は熱心かつ保守的な信仰を持つクリスチャンであり、その死は政治の世界においてもキリスト教の世界においても大きな影響を及ぼしつつある。特に白人が集う福音派の教会において「霊的リバイバル」が起こりそうな気配である。

9月22日に行われたカーク氏の追悼式典は、まさに国を挙げて行われた礼拝のようだった。そこでカーク氏の妻エリカさんが、十字架上のイエスのことばを引用しつつ、「私は彼(犯人)を赦します」と語った。一方でトランプ大統領は、「エリカには申し訳ないが、私は敵を憎む」と発言した。とても対照的なこの二つの発言は日本のメディアでも取り上げられた。私はなぜか、ローマ人への手紙12章のみことばを思い起こした。

12章19節には「自分で復讐してはいけません。神の怒りにゆだねなさい」と書かれている。それは自分に代わって神が、また13章1-4節によれば国家など自分の上位にある権威者が、神のしもべとして公正と義を行ってくれることが担保されているからだ。教会においても、牧師が「赦しましょう」「裁き合わないようにしましょう」とだけ言って、公正な裁きや忠告を行わないなら、権威は次第に失われていく。

私たちが誰かの罪によって大きな傷や損害を受けた場合、警察が立ち上がって犯人を捕まえ、司法が正しく裁いてくれることを願う。その裁きは、実は私たちの「人権」を守るためではなく、神の義が全うされることが第一の目的であるべきだ。聖書から言うなら。しかし今は「人権」が「神の権威」の上に来ている。米国最大の権力者であるトランプ大統領の怒りや憎しみが、神の義と同一化していくことが大切であり、そこに国民のとりなしの祈りもあるのだと思う。

クリスチャンと「戦争」の関係

更新日:2025年8月26日

もう20年ほど前のことだが、韓国に取材に行った折、あるクリスチャンの青年に「もし北朝鮮が攻めてきたら、あなたはどうするの?」と尋ねた。彼は、この人は何を言っているのだろうという顔をして「当然、戦いますよ」と答えた。教会でも熱心に奉仕をしている福音的な信仰を持つ青年だった。聖書から戦争をどのように理解しているのか、そこまでは聞かなかったが、韓国も台湾も全ての成人男性に兵役義務を課していて、ほとんどのクリスチャンがそれに応じている。

戦後の日本のキリスト教会はというと、リベラル派も福音派も押しなべて「反戦・非暴力主義」の立場で進んできた。戦時中の天皇崇拝・神社参拝・戦争協力のすべてが悪かったと神の前に悔い改め、またアジア諸国に謝罪して戦後を歩んできた。日本人牧師が韓国の教会に行って土下座をして謝罪するということも繰り返された。また、憲法9条も一つの旗印になった。聖書からは、「殺すなかれ」「右の頬を打たれたら、左の頬も向けなさい」などの聖句が反戦・非暴力主義の裏付けとされた。

同じクリスチャン、キリストをかしらとする神の家族であっても、日本ほど国全体のクリスチャンが反戦・非暴力に立つ国は、ほぼ無いと言える。それは、先の戦争を深く反省した結果なのか。それとも憲法9条という理想的な旗印を与えられたことで、それを手放さないように頑張っているからなのか。あるいは、これが最も願わしい形だが、聖書から反戦・非暴力の神学を熟考し、皆がそれに同意しているからなのか。様々な可能性を考えながら、自分たちの立ち位置を見直すことが必要だ。

個人的には、先の戦時における天皇崇拝と神社参拝は間違いであったが、戦争協力については判断が難しいと感じている。先の二つは神に対する罪であるが、戦争協力については、それ自体が罪なのか、あるいは、「あの戦争における戦争協力が罪だった」のか、という二つの問いが生じる。もちろん、反戦・非暴力の立場に立てば、それ自体が罪となるが、他国のクリスチャンがどのような思いで従軍したり徴兵に応じているのかを学ぶ必要もあるだろう。「舟の右側」2025年9月号の特集も、そのような思いで組んでみた。

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舟の右側は、こんな雑誌

更新日:2023年12月26日

牧会者が喜びを見出す雑誌へ

更新日:2021年12月28日

『ジャンルを大切にして聖書を読む』の読み方

更新日:2021年12月21日
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