舟の右側
地引網出版
キリスト教雑誌 舟の右側

ワイチローの取材日誌

リバイバルジャパン取材日誌

「役に立たない人」になったとき

更新日:2020年12月 4日

朝のNHK連続テレビ小説『エール』が終わった。印象的なシーンがいくつかあったが、その一つ、最終回の二つ前の回だったか、作曲家としての活動をやめてしまった古山裕一を作曲家志望の学生が訪ねてくるシーンがあった。

学生は古山に「もう作曲はなさらないのですか? 先生の中に音楽は湧いてこないのですか?」と迫る。それに対し古山は、「僕はこれまで、人を励ます曲をたくさん書いてきた。音楽は、今も僕の中に溢れている。でも今は、それを自分の中だけで楽しみたいんだ。それは、悪いことかな」と答える。(記憶の中のセリフなので正確ではないが、趣旨は合っていると思う。)

このやり取りを見ていて、引退後の人の生き方を想った。

私たちは、誰かの役に立っていることで自分が生きていることの意義や安心感を得る。逆に言えば、何の役にも立っていない自分=生きている価値のない自分、となる。しかしこの価値観のまま生きていると、死の直前まで「役に立っている自分」を求めることになる。牧師であれば、引退後も信徒に必要とされる存在であろうとし続けるだろう。

旧約の祭司職を担ったレビ人は、50歳でその働きを退いた。私たちも、神様から「もう仕事をしなくていいよ」と言われる日が、やがて来る。「その後」を生きたレビ人たちは、何かの奉仕をするでもなく、ただ神様と交わりながら日々を過ごしたのではないだろうか。そしてその日々の中で、彼らの霊的人格が完成されていったようにも思う。

教会に必要なのは、役に立つ人、だけではない。むしろ、心に神のことばがいつも響いている人、キリストに似た人が必要なのだ。

イエスの「くびき」を負う

更新日:2020年11月25日

今年は年初から様々なことがあった。高知県の四万十市に住む母親から心臓の手術をするので付き添いに来てほしいとの連絡を受けたのが1月のこと。まずは検査入院であったが、認知症が始まっている父を一人にしておくことはできず、近くの病院に1週間ほどの予定で預けたところ、初日の夜にベッドから落ちて大腿骨頚部を骨折した。母の心臓の手術と父の骨折の手術が一度に重なり、東京から何度か往復して対応に当たった。

二人の手術は無事に成功し、母は退院。父はその後、病院での生活を余儀なくされた。車椅子の生活になった父を母一人で介護できるはずもなく、東京に二人を引き取ることを考え、私たち夫婦と両親が暮らせる家を八王子近辺で探し始めた。

すると、4月になって妻の体調がおかしくなり、病院で診てもらったところ、潰瘍性大腸炎と診断された。安倍元首相が退陣に追い込まれた病気である。さらに6月、妻の高熱が続くようになり、新型コロナウイルスかもしれないと思ってかかりつけ医で診てもらうと、肺炎に罹っていることが分かった。急遽、総合病院でPCR検査を受けると、幸い「陰性」であり、何か別の原因で肺炎になっているということだった。

ステロイドで肺炎の症状はおさまり、6月下旬、八王子市からあきる野市への引っ越しも無事に終わった。本当に綱渡りのような日々だった。しかしその後、肺炎の症状もなくなったため、ステロイドの投薬をやめると、肺炎がもう一度ぶり返してきた。加えて、手足と顔に痺れの症状が出始め、医師からは「血管炎かもしれない」と言われた。全身のどこで炎症が起きるかわからない病気で、足に出れば立てなくなり、心臓に出れば命の危険も生じてくる。

仕事としては、月刊「舟の右側」を毎月発行しているため、それに穴を空けるわけにはいかない。私は取材と編集、妻は広告営業と会計を行っているので、病院と職場を行き来しながら、なんとか発行を続けてきた。その間、地引網出版の経営面での厳しさも重なり、銀行との打ち合わせも増えていた。心身ともに追いつめられる日々だった。

そんな日々の中で、所属教会を変わるという決断も行った。8年前から日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の八王子基督教会(めじろ台シオンチャペル)に通ってきたが、この10月より、自宅にほど近い秋川バプテスト教会(Akigawa Baptist Church)に夫婦で通うようになった。日本育ちのスティーブ・カーター牧師が牧会する少人数の教会である。籍はまだ八王子の教会にあるが、いずれこちらに移すことになるだろう。

妻の病気は、この一か月ほどで大きな進展があった。受診する病院を変えたところ、「この肺炎は潰瘍性大腸炎の薬によるアレルギーです」との診断が出た。驚くような診察結果だった。それで潰瘍性大腸炎の薬をやめ、さらに肺炎を抑えるために飲んでいたステロイドもやめることができた。今は経過観察の状態だが、肺炎が出ることもなく、良い方向に向かっているのは確かだと感じる。

さらに、これも11月に入ってのことだが、ずっと病院での生活が続いていた父を受け入れてくれる特別養護老人ホームが、地元の四万十市に見つかった。そして数日前、母が嬉しそうに電話をかけてきた。母によると、病院を出る時にはボーっとした表情で受け答えも虚ろだった父が、特養の個室に入ってケアを受けたら驚くほど回復して、母を始めとして家族の名前もはっきりと言うようになった、顔もとても穏やかになった、ということだった。

年初から続いた試練の中で、絶えず心にあったのは、マタイの福音書11章28-30節のみことばだった。「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたし(イエス)のもとに来なさい」から始まる聖句。イエスの「くびき」を負って、イエスの導いてくださる道を、イエスのペースで歩むとき、「たましいに安らぎを得る」「荷は軽くなる」と約束されている。これまで何十回、何百回となく読んできたこのみことばを、実際に体得させられる一年だったように思う。

方法論は、そのまま適用できない

更新日:2020年10月26日

月刊「舟の右側」11月号が10月28日に出来上がってくる。

今回のトップ記事は日本同盟基督教団・招待キリスト教会を開拓し、現在は名誉牧師を務める趙南洙さん。韓国で千人ほどが集まる教会を牧会していた趙牧師が、それを後進に委ねて日本宣教に赴き、神奈川県川崎市で伝道を開始していった経緯を伺った。また特に、2006年から取り組み始めた「家の教会」について、その本質的な考え方と方法論の両方を詳しく聞いた。コロナ前で280~300人が集まる教会に、32の「家の教会」がある。

コロナ禍の中で大人数で集まることが制限される今、このような少人数での集まりには大きな可能性がある。と同時に、リスクもある。以前には、家庭集会を信徒に任せると分裂の原因になる、という話をよく聞いた。党派心というのは小学校のクラスから企業や政党の派閥まで、さまざまな形で私たちの周りにあり、初代教会の中にもそれを見ることができる。だから組織を分割して放っておけば人の肉の性質は教会内にも拡がって、それが分裂という形で表れてくる。

ここに、教会成長の方法論を聞いて、それをそのまま採り入れることができない難しさがある。単に韓国式やアメリカ式を日本式にアレンジすればいいという話ではない。どうすればいいのか? 一つ言えることは、教会のリーダーである牧師が、党派心から自由になることだ。教団内の派閥活動や噂話が好きな牧師、あるいは他の教会に無関心な牧師が、「派閥や噂話はいけません。他のグループのためにも祈りましょう」と指導するのは難しい。牧師のキリストによる内的変容と教会の質的成長は、密接に結びついている。

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