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キリスト教雑誌 舟の右側

ワイチローの取材日誌

リバイバルジャパン取材日誌

ある宣教師への取材

更新日:2010年6月22日

先週の土曜日、ある宣教師に取材をした。

24歳の彼女は東南アジアのある国でスラム街に住みながら神の国を拡大していく働きに従事しようとしているのだが、インタビューしていてとても興味深いフレーズに行き当たった。それは「尊厳」。伝道対象、または援助する対象の尊厳を大切にしながら関わることが彼女たちの宣教団体のモットーだというのだ。

たとえば、食事を与えるにしても、与えられる側の尊厳を保つために、いきなり何かを持ってきて与えたら去っていく、ということはしない。一緒に暮らしつつ、一緒に食料を得る道を探していく。尊厳を保つというのは、相手の人間性を尊重することであり、愛することにつながる。

前から気になっていたことがある。ホームレス伝道の時の給食だ。東京や大阪でホームレス伝道が行われ、ホームレスになった人たちの多くが福音を聞いている。何故か? それは給食の“前に”メッセージがあるからだ。給食が食べたいので、その時間は我慢して聖書メッセージを聞く。

伝道をしている側は、ひとかけらの悪意も無いと思う。こうしなければ福音を聞いてくれない、こうすれば全員に福音を語ることができる、との善意の判断だろう。しかしである。ホームレスになった人たちの「尊厳」は保たれているのだろうか、と思う。「あなたお腹が空いてるんでしょ。食べさせてあげるから、まずはキリスト教の話を聞いてね」とのメッセージを言外に発してはいないか。この場合、給食は福音宣教の「エサ」となる。

主イエスは「あなたを人間を取る漁師にしてあげよう」と言われたが、譬えというのは真理の一側面しか表わさない。自由に泳ぎ回っている人々をキリストの元に連れてくるという意味ではあるが、決して、人を魚扱いしていいとは言っていない。イエスは、当時差別されていた女性や重い皮膚病を患った人々の尊厳を大切にされた。

現在のビジネスやインターネットの世界では、人々を誘導し、操作することが平気で行われている。私も、そんなことしていないとは断言できない。本や雑誌を売ることにおいて、何らかの操作的なことをしているだろう。丁寧にチェックしなければならない。

目に見える「支配」の弱い世界では、目に見えない「操作」が大きな力を持つ。撒き餌をして誘導し、そして買わせる。あるいは会員にする。「加齢臭はありませんか?」と問いかけ、「それは大変なことですよ。」というメッセージを送り、焦らせ、買わせていく。「これをするとお得ですよ」とある程度の利益を与え、後から大きな利益をいただく。

しかし人は、自分が操作されたことに気付いたとき、支配されたときと同様に、いやそれよりも深い部分で傷を受ける。「うまく利用された」と苦々しい思いを持つ。とても巧妙に人間の尊厳を踏みにじられたからだ。

私たちキリスト教も、結果良ければすべて良し、の伝道をしてはいないだろうか。果たして、どれほど伝道された側の心を配慮してきたかと思わされる。「この方法でやったらたくさんの人が救われた」と言われても、その方法が人の尊厳を踏みにじっていないか、人を操作していないかを絶えずチェックしなければならない。

伝道をビジネスライクにしてはならない、というのは、実はこの「尊厳」の問題だったのだ。「お客様のために」と言いながら、見えない部分に人を人とも思わない動機が隠されている、それが真に「世的」ということである。私たちは世的な伝道をしてはならない。そして、クリスチャン・ビジネスマンと言われる人たちの戦いも、この点にあるはずだ。「金の前に人間性など無視しろ」と迫る、マモンの神との戦いである。

ちなみに…

ちなみに、加齢臭というのは若い頃と比べて皮膚の新陳代謝が悪くなって生じる臭いだが、予防策は、風呂に入った時に石鹸をつけたタオルでゴシゴシとこすらないことだそうだ。こすり過ぎると、ばい菌を殺す皮膚要素まで洗い流してしまい、かえって臭いやすくなるのだとか。テレビで皮膚の専門家らしき人が言っていた。その人が勧めるには、手を石鹸で洗う時のように、タオルを使わずに手と石鹸だけで体中を洗えばいいということだ。以後、私もそうしている。ただ、手足と体の前面はいいのだが、背中を洗う時には手が攣りそうになる。

何でもそうだが、それを排除しようと躍起になると、かえってドツボにはまってしまうことがある。 そう言えばイエスも、毒麦を抜こうとして良い麦を抜いてしまうかもしれないと忠告された。自分の聖めとか、教会の聖めとか、あまり神経質にならない方がいいのだろう。「あの人は教会のガンだ」と排除に躍起になると、良い人までいなくなる。「カルト牧師」を捜すことに躍起になると、キリスト教界全体から変な臭いが立ち上り始める。霊的にはすでに聖められているのだから、そのことに安息し、ドーンと「宮きよめ」をやったら、あとは日々の働きに邁進だ。主も、宮きよめは1回、あるいは2回、あとは失われた人々を追い続けられた。

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